壱岐市立一支国博物館
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壱岐の人物伝情報

◇壱岐の人物伝カード紹介

竹田黙雷 /たけだもくらい

生誕地
勝本町
分野
その他  (仏教) 
時代
近現代
生涯
安政元(1854)年 ~昭和5(1930)年
業績
竹田黙雷は、現在の勝本町で平戸藩士竹田勝治(克治)の4男として生まれ、熊雄と名づけられました。7歳の時に出家して宗熊と改め、14歳で宗尤と改名しました。15歳で福岡へ渡り、旧黒田藩の儒学者亀井南冥から漢字を学び、旧秋月藩の儒学者近藤木軒に儒学を学びました。その後、約20年にわたり京都大徳寺や建仁寺をはじめ、福岡や長崎にあるお寺で重要な役割を担いました。明治13(1880)年に宗淵に改め、黙雷と称しました。39歳で管長の職に任命され、仏教の発展のため僧侶の教育と育成に全力を注ぎました。以後約40年にわたる管長職の間に約4000人の弟子が教えを受けました。弟子の中には、伊藤博文をはじめ、政治家、芸術家、仏教学者など様々な分野の有名人も含まれており、難しい禅学を分かりやすく教え、親しみやすいものとしたことでも有名な人物です。

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