山口麻太郎
/やまぐちあさたろう
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生誕地 |
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郷ノ浦町
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分野 |
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歴史
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時代 |
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近現代
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生涯 |
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明治24(1891)年
~昭和62(1987)年
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業績 |
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山口麻太郎は、郷ノ浦町黒崎地区で生まれました。長崎通信伝習生養成所(ながさきでんしんでんしゅうせいようせいじょ)を卒業後、郷ノ浦町郵便局、台湾総督府民政部通信局、市町村雑誌社、対馬商船郷ノ浦支店などの仕事に従事する。大正10(1921)年に壱岐郡教育会主催の夏期講習において折口信夫の「民間伝承学」を聞き、柳田国男の民俗学に感銘を受け、柳田国男に入門し、民俗学について学ぶ。昭和8(1933)年に松永安左ェ門の支援を受けて私設で壱岐郷土研究所を開設し、郷土資料の収集・調査研究に没頭しました。研究の成果は「壱岐島の方言集」・「壱岐国史」・「壱岐国地名誌」などをはじめとした論文でまとめられています。昭和31(昭和6)年には、「昭和5年の郷土考古学界」の名で壱岐日報に論考として掲載し、一躍原の辻遺跡の存在を全国区へと導いた第一人者の一人です。
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