竹田黙雷
/たけだもくらい
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生誕地 |
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勝本町
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分野 |
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その他
(仏教)
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時代 |
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近現代
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生涯 |
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安政元(1854)年
~昭和5(1930)年
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業績 |
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竹田黙雷は、現在の勝本町で平戸藩士竹田勝治(克治)の4男として生まれ、熊雄と名づけられました。7歳の時に出家して宗熊と改め、14歳で宗尤と改名しました。15歳で福岡へ渡り、旧黒田藩の儒学者亀井南冥から漢字を学び、旧秋月藩の儒学者近藤木軒に儒学を学びました。その後、約20年にわたり京都大徳寺や建仁寺をはじめ、福岡や長崎にあるお寺で重要な役割を担いました。明治13(1880)年に宗淵に改め、黙雷と称しました。39歳で管長の職に任命され、仏教の発展のため僧侶の教育と育成に全力を注ぎました。以後約40年にわたる管長職の間に約4000人の弟子が教えを受けました。弟子の中には、伊藤博文をはじめ、政治家、芸術家、仏教学者など様々な分野の有名人も含まれており、難しい禅学を分かりやすく教え、親しみやすいものとしたことでも有名な人物です。
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