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壱岐市立一支国博物館
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TOP > 壱岐めぐり情報 > 壱岐の人物伝情報 > 壱岐の人物伝検索結果
壱岐の人物伝情報


3件の人物が該当しました。

人物名 熊本利平
生涯 明治13(1879)年
昭和43(1968)年
生誕地 石田町
業績 熊本利平は、現在の石田町印通寺浦で生まれました。下関商業から慶應義塾を経て、24歳で朝鮮半島に渡りました。そこで約4千町歩の大規模農場経営者になりました。朝鮮実業界の発展に貢献する傍ら、郷土の産業振興、特に教育の充実に尽カし、人材の育成、東京成城学園や壱岐高等女学校への寄付、留学生の派遣、石田小学校敷地及び講堂の寄付、印通寺防波堤の築造など、郷土の発展に多大な貫献をした人物です。その功績が認められ、1942年(昭和17)10月に「花雲亭」を賜りました。

人物名 中上長平
生涯 天保11(1840)年
明治42(1909)年
生誕地 勝本町
業績 中上長平は、勝本町勝本浦で生まれました。実家が海産物を取り扱う仕事をしていたことから、幼少の時より漁業に興味を持ち、17歳で独立し、本格的に漁業の仕事を始めました。新漁場の開発や新たな捕獲方法の考案し、改良を重ね、漁業の発展に貢献しました。また天候の予測や魚類の習性などの研究にも取り組み、得た知識や情報を多くの漁民に伝え、漁獲高が一気に向上しました。生前の実績から「漁業の神様」と呼ばれ、尊敬された人物です。

人物名 松永安左ェ門
生涯 明治8(1875)年
昭和46(1971)年
生誕地 石田町
業績 松永安左ェ門は「電力の鬼」・「電力王」と冠されたこの人物で、現在の石田町印通寺浦で生を受け、少年期を壱岐で過ごしました。勉学のため壱岐を離れ、慶應義塾に通うが中退し、日本銀行や福松商会に勤めるも長続きせず、自分で会社を立ち上げ、途中浮き沈みはあったが一財産を築きました。特に近代日本の黎明を画するために電気事業に敢然と立ち向かう姿は、まさに「鬼」のようだったと云われています。戦後日本の復興は、”人心の高揚”と”エネルギーの拡大”にあると考え、その実現のために超人的精魂を傾けた。実際、今日の日本が世界の経済大国といわれる功績の一端を担っていたといえます。1971年(昭和46)に95歳で永眠しましたが、その業績を称え遺徳を偲ぶために全国の電カ会社や自治体等の協カにより生地である印通寺浦に松永記念館が建設されました。館内には生前愛用していた生活用品や書画、褒章、電力関係の品、屋外には福岡市で実際に走っていた路面電車が展示されています。

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