壱岐市立一支国博物館
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壱岐の名所情報

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 江戸時代、鎖国政策下において朝鮮王朝は唯一の修好国でした。日本からまた朝鮮から使節が往来し、友好を結んでいました。なかでも将軍の代替りの度に、”慶賀の使節”として来朝した朝鮮通信使を通わす使節団は有名で、300人から500人で構成され、日本を訪れています。通信使の一行は、江戸までの行き帰りに勝本浦の寄港し、平戸藩の接待を受けていました。海上が時化(しけ)て勝本浦での滞在が続くと、その接待費で藩の財政を圧迫することから、藩は一日も早く出港することを願っていました。藩はその都度、壱岐国城代に命じて、爾自神社に順風祈願を行わせました。この東風石は「神功皇后が三韓出兵の折、勝本浦に寄港するが、出港にあたり順風が得られないため、この石に順風を祈願するとその石は二つに割れて東風が吹き出し、渡海できた」という云い伝えが伝承されていました。平戸藩はこの故事にならってこの東風石に祈願したものと思われます。延享5年(1748)3月、宝暦13年(1763)11月、宝暦14年(1764)6月の祈願のことが『壱岐名勝図誌』に記されています。東風石の前にある石橙籠には寛文11年(1671)と講中十一人の名前が刻まれています。講中十一人とあるものの、実際には15人の名前が刻まれています。お伊勢参りなど道中、船旅の海上安全を祈願し、それが成就しての献納したものと考えられています。

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