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雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)は聖武天皇(在位724~748)が新羅国に遣わせた「遣新羅使(けんしらぎし)」の一行(いっこう)として新羅に向かっている途中、壱岐で病死したといわれています。一行の中での役割は定かではないものの、一説には占い師であったと云われています。万葉集の中で宅満は「石田野にて永久に眠りについている君よ、家族らが君の所在を尋ねたならば、私は何といって答えればよいのか」と詩っています。死去後、村人の手により、石田野(現在の石田峰)に葬られ、現在でも命日とされる霜月8日に念仏を唱えてて供養しています。この念仏は夕刻に行うことから「夕飯祈祷(ヨーメシギトウ)」とも呼ばれています。
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