名所の詳細情報 |
平安時代末期の武将である斎藤別当実盛は、高齢による白髪を隠すため黒に染め、敗走する平家の軍として戦ったが奮闘むなしく討ち死してしまいました。実盛が田の中に落ちて死に”田の虫”になったという伝説から、実盛の人形を作って供養した後、川に流すと田の虫がいなくなるという口承から全国的にこの行事は行われてきました。壱岐では実際には、実盛人形を麦藁で作った船に乗せて担ぎ、田の畦道を歩きながら鐘や太鼓を打ち鳴らしながら念仏を唱え、最後に水に流しました。次第に行われなくなり、また簡略化された現在では、人形は作らずに人がトラックに乗り、鐘や太鼓で念仏を唱えながら回り、「悪虫退散、奉唱六字名号 五穀奉祈」と書かれた旗を捧げて念仏をあげる風習になっています。
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