壱岐市立一支国博物館
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壱岐の名所情報

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 玄界灘に面する瀬戸浦の恵美須地区は、紀州熊野(現在の和歌山県熊野灘)に次いで鯨の量が多いことで知られ、紀州鯨より大きい鯨が捕獲されていたといわれる場所です。明応期(1492年~501年)の頃に紀州熊野の日高吉弥が、また寛永期(1624年~1644年)には肥前大村の深沢儀太夫もこの地に鯨組を置いています。明治期も生月の益富(ますとみ)家・勝本の土肥(どい)家・瀬戸の布屋家・芦辺の篠崎家・郷ノ浦の許斐家などが鯨組を構えています。当初は銛(もり)や鉾(ほこ)等を用いて捕獲していたが、その後は網組を組織し、網で捕獲するようになり捕獲率も上がり、壱岐の7浦を潤すほどであったらしい。『海鰌図解大成』には「くじら一本とれば七浦の猫まで肥るとか也」との記載が残っています。 “鯨が1頭とれれば七浦の民だけでなく、そこにいる猫まで潤う”とまでいわれ、鯨1頭が高価なものであったことを示しています。そこで、組業者は組の繁栄と鯨の冥福を祈り、漁場を見下ろすことができる高台に供養塔を建立したといわれています。

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