名所の詳細情報 |
『壱岐名勝図誌』によると、加賀城は「異国防衛守のための番城である」と記されており、承和年間(834~847年)に壱岐国に14箇所築かれた要害の1つと考えられています。現在、高さ1.5~2mの石塁が長さ30~50mに渡って残っています。天武天皇14年(685年)に「私蔵兵器を郡屋(ごうや)に収めさせる」という史実が残っており、城の近くに「ゴウヤ」・「ゴウヤノツジ」の地名が残っていることからこの郡屋があった所とも云われています。城跡の残る山頂からは島内の山々が眺められ、眼下には御手洗やタンス浦の入江が広がり、さらには対馬海峡が一望できる場所であることから、城として最適の場所であったことがうかがえます。
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