名所の詳細情報 |
文永11(1274)年〔元寇 文永の役〕に、元軍は勝本町北西部の浦海(うろみ)と天ヶ原の両海岸に上陸し、守護代平景隆の居城がある新庄(新城)を攻めました。守護代の平景隆は約100騎の軍団で元軍を迎え撃ち応戦しましたが、庄ノ三郎城で大敗した平景隆の軍は居城のある樋詰城へ退き、この地で戦死し全滅したとされています。元軍との最後の決戦の場所がこの新城古戦場だったと云われています。元寇関係の遺跡や伝説は島内各所に点在し、元軍が上陸したという「海岸」、激戦が繰り広げられた「古戦場跡」、敵味方の死体を埋めた「千人塚」、元軍に追われた人々が身を隠したと伝えられる「かくれ穴」、戦死した「武将の墓地」などが残っています。
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