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「朝鮮通信使」とは、朝鮮国から派遣された外交使節団のことで、室町時代から始まりました。朝鮮通信使の一行は正使・副使・従事官以下500名に近い人員で構成され、使節団を案内する対馬藩からは約800名が警備のために道中同行したと云われています。1607(慶長12)年より1811(文化8)年までの間に計12回の往復が行われ、その接待には莫大な経費がかかっていました。その内、勝本港には往路11回、帰路8回入港し、寄宿しています。 朝鮮通信使迎接所神皇寺跡は壱岐島に寄港した朝鮮通信使を迎接し、一行が宿泊した場所とされています。平戸藩によって勝本港に約2500坪(100間×25間)の大宿舎が建設された記録が残っていますが、現在その姿は全く残っておらず、本堂跡に建てられた阿弥陀堂の敷地内に、本堂の礎石2個だけが残っているだけです。1711(正徳元)年の饗応品として「山芋1500本、スルメ5000斤、卵15000個、米50石、アワビ2000貫目、清酒15石」という記録から通信使迎接の規模の大きさを知ることができます。
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