名所の詳細情報 |
壱岐勝本が朝鮮や対馬に対する「警備の要」として重要視した平戸藩は、1680(延宝8)年に押役所を設置し、海上警備と治安維持を強化しました。押役所は、現在の警察・裁判所・役場の業務を行なった所です。当初は21人の武士が常駐し、若宮島には遠見番所を設置して32名の武士が配置されていました。1760(宝暦10)年には『壱岐武具方帳定格』が定められ、警備員も増員されて述べ200人を配備し、壱岐の陸海の警備に当たらせた記録が残っています。この押役所は1869(明治2)年まで約189年間設置されていました。その間には1777(安永6)年に南京船の勝本入港で騒然とし、1849(嘉永2)年からは異国船が勝本沖合いに度々現れると警備を強化し、平戸藩より警備のための兵が送られています。勝本押役所は教練所も兼ねており、「中尾丹弥」の指導のもとに稽古場において軍事訓練が行われていたとされています。
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