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元寇よりも約160年前の1019(寛仁3)年、刀伊族が壱岐を壱岐に攻めてきました(刀伊の入寇)。この時、刀伊族との激戦があったと伝えられる場所が壱岐の西海岸部の片苗湾付近と云われています。刀伊族を壱岐国司の藤原理忠が迎え撃ちましたが、激戦の末、戦死しました。この戦いでは藤原理忠をはじめ、148人が戦死、239人が捕虜として連れ去られたと云われています。この古戦場跡を見下ろす丘の上に理忠の墓と伝えられる積石塚があります。地元では「理忠(りちゅう)さんの墓」と親しみを込めて呼んでいます。
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