名所の詳細情報 |
壱岐島の北部に城跡はあります。勝本港を見下ろす標高78mの丘陵に立地する山城で、風本城(かざもとじょう)・武末城(たけすえじょう)とも呼ばれています。豊臣秀吉は、朝鮮出兵に際して肥前名護屋城(ひぜんなごやじょう)を本陣としましたが、それとともに壱岐・対馬にそれぞれ出城を築き、朝鮮出兵のための基地とするように命じました。出城として、海上交通上の要路である勝本港にのぞむ城山が選ばれました。勝本城の築城には松浦鎮信(まつうらちんしん)が主としてこれにあたり、有馬晴信・大村喜前・五島純玄がこれを支援し、およそ4ケ月で天正19年(1591)末に完成しました。現在は、山頂に残る本丸跡虎にある口(こぐち)の枡形(ますがた)をなす石垣が当時の面影を残しています。遺跡の重要性から平成14年(2002)に国の史跡に指定されています。
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