名所の詳細情報 |
壱岐島の東部、芦辺町の中心地である芦辺浦は、現在でも漁港として栄え、多<の住宅が密集する場所です。しかしこの場所は江戸時代火事の絶えない場所であったことが『壱岐名勝図誌』に記載されています。最も古い事例は1635年(寛永12)に豊浦(芦辺浦の旧名称)が焼失したことが記されています。その後、1653年(承応2)・1654年(承応3)と2年続けて豊浦が焼失したと記されています。再建もつかの間、寛文年間にさらなる悲劇が豊浦を襲います。1664年(寛文4)・1670年(寛文10)・1671年(寛文11)・1673年(寛文13)の4回、大火事に遭い焼失しています。寛文年間には安静の世を願い芦辺浦に天建寺を建立し、地名を豊浦から芦辺浦と改めています。文献でこれだけ多<の火災の記録が記されているのは壱岐島内では異例の多さで、火事が頻繁に起きていたことが示しています。
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