壱岐市立一支国博物館
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 松浦久信は1571年(元亀2)、肥前の大名松浦鎮信(まつうらしげのぶ)の長男として生まれ、父鎮信とともに豊臣秀吉に仕えた武将です。久信は21歳の若さで文永の役(1592年)・慶長の役(1598年)の2度の朝鮮出兵に出陣し、偉功をたてた人物です。久信は1602(慶長7)年8月29日、参府の途中、伏見にて病に倒れてしまいました。その一報を受けた鎮信は、平戸印山寺の僧侶に命じて、病気平癒の祈祷を行ったが、その甲斐もなく久信は32歳の若さで他界してしまった。鎮信はその遺骸を見るといきなり印山寺の祭壇の掛け軸を斬り、祈祷を行った僧侶までも切り捨てたという。そのことがやがて世に広まり、恐れをなした僧侶たちは逃げ出し、平戸には”僧侶無し”という状態になったという。そのときに壱岐安国寺第15世住職松隠和尚が導師として平戸に招かれ、盛大に葬儀が執り行われたことから、この安国寺の境内に松浦久信夫婦の拝塔が建てられたといわれています。

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