壱岐市立一支国博物館
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壱岐の名所情報

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 芦辺町箱崎の山麓に蔦(つた)で覆われた古い石垣があり、中央の石段を挟んで高さ2mの石垣が両袖に8mにわたって積んである場所があります。これが春延山暦応寺跡と云われています。この裏山の竹と雑林の奥に小山弥兵衛の墓があります。小山弥兵衛は、もとは乗河村の野村(=現兵庫県朝来郡和田山町)の村民であった。1783年(元文3)は数年続いた凶作で、貧困に陥り飢餓に飢える世の中だった。それに追い討ちをかけるかのごとく高い年貢を納めなければならなかったらしい。農民は年貢の軽減を哀願したが聞き入れられず、一揆を起こしたのである。弥兵衛はその首謀者の一人で、謀議に参画し村々に廻状を認め、さらには動員を行ったとされる。一揆は鎮圧され、首謀者の罰として弥兵衛は壱岐の島に流罪となった。壱岐についた弥兵衛は見性寺に身をよせ、役務に従事したと云われています。また暇をみつけては、女子や子供を海岸に集めて、紙の代わりに砂浜に字を書いて読み書きを教えたり、杉や桧の苗を作って植林しました。年々増やしていき、弥兵衛の死去時には1000本を超える本数に達していたそうである。病に倒れた弥兵衛は暦応寺の和尚に、一揆の罪を謝り、亡くなったといわれています。死後は手塩にかけて育てた植林の中に埋葬され、ひっそりとした墓が今も残っています。

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