名所の詳細情報 |
長徳寺は曹洞宗龍蔵寺の末寺で、古くは平清盛祈願の壱岐七堂の一つとされています。最初は赤尾にあったが、その後、塩谷の崎にある高岸の上に移転したことが『壱岐名勝図誌』に記載されています。後に岸下に移され、明暦年間(1655年~1657年)に焼失したと云われています。この地の東500mのところに元寇で少弐資時が元軍との激戦の末、戦死したとされる船匿城跡があります。現在、長徳寺のあった場所は畑となってしまっていますが花崗岩の五輪塔2基と玄武岩の五輪塔1基残っています。花崗岩の五輪塔は精巧に加工され、石材は壱岐の石でないことから島外から持ち込まれたものと考えられています。この地の歴史的環境を考えると平家一門の供養塔もしくは守護代の少弐家一門の供養塔ではないかと推測されています。
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