名所の詳細情報 |
1281年(弘安4)、4万もの蒙古東路軍が対馬を襲い、次いで壱岐に攻め込んで来ました。1274年(文永11)に続き、2度目の襲来で元寇〔弘安の役〕に関連するものです。弘安の役で、壱岐を守るため、元軍を迎え撃ったのが当時の壱岐守護代、少弐資時(当時19歳)でした。船匿城(ふなかくしじょう)に居城を構えた資時は、わずかな軍勢で激戦を繰り広げたが、船匿城で全滅したと云われています。少弐公園の松林の中に資時の墓があります。公園内の展望台近くには防人ののろし台や碇石などがあり、当時からこの場所が重要な地だったことがうかがえます。現在は、公園内にキャンプ場や海岸を周遊する遊歩道なども整備され、憩いの場として多くの人に利用されています。
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