|
|
 |
観光名所詳細情報 |
名所の詳細情報 |
1593年(文禄2)2月21日、朝鮮出兵の帰途で病に倒れ、壱岐島沖の船中で弱冠27歳の命を落とした伊東義賢の墓と云われています。日向国(=現在の宮崎県付近)の城主でキリシタン大名でしたが、長徳寺で葬送が行われたため、戒名を「罷山金休居士」、神道では「日向大明神」、カトリックでは「ドンバルトロメオ」と呼ばれています。瀬戸浦の墓地の中ほどにひっそりとあり、傍らに真新しい十字架が立てられています。地元では日向様(ひゅうがさま)と呼ばれ、弔われています。近くにはキリシタン礼拝物とみられる石仏が多数見られます。
|
|

|