壱岐市立一支国博物館
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壱岐の名所情報

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 1555年(弘治元)4月、城代として壱岐国を治めていた波多源五郎隆が、部下の6人衆に殺害されるという事件が起きました。引き続き、城代となったのが波多隆の弟の波多源七郎重(しげし)ですが、6人衆は弟の波多重も殺害しようと企んでいました。身の危険を感じた重は、翌2年1月に従者を従えて密かに脱出しました。安国寺に隠れていることを知った6人衆は、兵を率いてこれに迫った。重は従者3人に守られて筒城方面に逃れたが追いつかれ、従者は討ち死していましまう。単身逃れた波多重は筒城権現崎白山に隠れたが、山川和泉により射殺されたと云われています。その死を悼んだ農民は、現在の地に塚を造り弔ったと云われています。また、最後まで従った従者3名の墓も死んだ場所である十手田原残っています。

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