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TOP > 壱岐めぐり情報 > 壱岐の人物伝情報 > 壱岐の人物伝検索結果
壱岐の人物伝情報


3件の人物が該当しました。

人物名 品川鉄摩
生涯 明治36(1903)年
平成元(1989)年
生誕地 勝本町
業績 品川鉄摩は、勝本町新城東触で生まれました。大正11(1922)年に長崎県師範学校(ながさきけんしはんがっこう)を卒業し、島内の学校をはじめ、長崎県内の学校の教壇に立ちました。退職後は、郷ノ浦町の文化財調査員、壱岐の自然を育てる会会長、環境庁自然公園指導員、壱岐名勝天然記念物保護理事、日本植物学会会員などの職を通じて、壱岐の郷土の植物研究を続けて、広く学会で紹介し、多くの新発見をもたらしました。長崎県の天然記念物に指定されているスキヤクジャク群落の発見など多くの功績を残しています。

人物名 竹田黙雷
生涯 安政元(1854)年
昭和5(1930)年
生誕地 勝本町
業績 竹田黙雷は、現在の勝本町で平戸藩士竹田勝治(克治)の4男として生まれ、熊雄と名づけられました。7歳の時に出家して宗熊と改め、14歳で宗尤と改名しました。15歳で福岡へ渡り、旧黒田藩の儒学者亀井南冥から漢字を学び、旧秋月藩の儒学者近藤木軒に儒学を学びました。その後、約20年にわたり京都大徳寺や建仁寺をはじめ、福岡や長崎にあるお寺で重要な役割を担いました。明治13(1880)年に宗淵に改め、黙雷と称しました。39歳で管長の職に任命され、仏教の発展のため僧侶の教育と育成に全力を注ぎました。以後約40年にわたる管長職の間に約4000人の弟子が教えを受けました。弟子の中には、伊藤博文をはじめ、政治家、芸術家、仏教学者など様々な分野の有名人も含まれており、難しい禅学を分かりやすく教え、親しみやすいものとしたことでも有名な人物です。

人物名 中上長平
生涯 天保11(1840)年
明治42(1909)年
生誕地 勝本町
業績 中上長平は、勝本町勝本浦で生まれました。実家が海産物を取り扱う仕事をしていたことから、幼少の時より漁業に興味を持ち、17歳で独立し、本格的に漁業の仕事を始めました。新漁場の開発や新たな捕獲方法の考案し、改良を重ね、漁業の発展に貢献しました。また天候の予測や魚類の習性などの研究にも取り組み、得た知識や情報を多くの漁民に伝え、漁獲高が一気に向上しました。生前の実績から「漁業の神様」と呼ばれ、尊敬された人物です。

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