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1266(文永3)年
壱岐の白沙八幡宮の大宮司源季重家職継承が鎮西守護所へ見参料として牛一頭を進上する【壱岐史拾遺】
1267(文永4)年
観世音寺〔立石南触〕に至元四年銘の銅造双龍文鏡(円錐紐)有り
1271(文永8)年
箱崎暦応寺〔芦辺町〕を開く【壱岐国続風土記】
1274(文永11)年
元軍、壱岐勝本付近に上陸する〔文永の役〕
1274(文永11)年
守護代平景隆が100余騎で応戦するも、樋詰城で戦死する
1281(弘安4)年
元軍、再び壱岐を襲来する 瀬戸浦付近に上陸する〔弘安の役〕
1281(弘安4)年
瀬戸浦の海戦で、守護代少弐資時が戦死する
1293(永仁1)年
唐津岸岳城主の波多宗無、亀丘城〔郷ノ浦町〕を築城する【三考譜録考鑑】
1294(永仁2)年
異国警護のため壱岐・大島・鷹島などに烽火を設置する
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