|
1301(正安3)年
波多宗無の妻華渓女が病死する その後天祐貴公、武生水に母の菩提寺華渓院〔現・華光寺〕を創建する
1310(延慶3)年
『国牛十図』に筑紫牛として壱岐の牛が有名になる
1325(正中2)年
湯岳田原山に嘉暦城を築城する
1338(延元3 暦応1)年
壱岐島神社数の調査が行われる 壱岐郡106社、石田郡109社 〔現れたる小神488社、隠れたる小神888社有り〕【壱岐神社考】
1338(延元3 暦応1)年
足利尊氏が「海印寺」を「安国寺」と改める
1340(興国1 暦応3)年
本宮八幡宮〔本宮西触〕の御殿を建立する
1350(正平5 観応1)年
安国寺に足利尊氏の鬢髪が到来する【老松山安国海印禅寺史】
1351(正平6 観応2)年
主殿寮、壱岐島の志原保を治める
1351(正平6 観応2)年
筑前国八幡筥崎宮の神領に壱岐島瀬戸・椙原の両村名あり【史淵】
1369(正平24 応安2)年
松浦党の志佐・佐志・鴨打・呼子・塩津留の5氏が壱岐を分治する
1369(正平24 応安2)年
志佐壱岐守源義の代官源武が池田に真弓館を構える【続風】
1377(天授3 永和3)年
覚音寺〔立石西触〕の仏殿を造営する
1386(元中3 至徳3)年
下松浦志佐郷直谷城主の志佐氏は西間村の民を使って壱州堀を掘らせる【続風】
1393(明徳4)年
佐志氏はじめて壱岐守を名乗る
1396(応永3)年
将軍足利義満が顕悦を壱岐安国寺住職に任命する
1397(応永4)年
大内義弘が朝鮮に使いを送り、一岐・対馬の島民に禁寇を約束させたことを伝える【李朝実録】
1399(応永6)年
一岐安国寺の新住持顕悦が朝鮮に礼物を進献する【李朝実録】
|
|