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804(延暦23)年
壱岐島の防人に筑前の穀米を送る【日本後紀】
804(延暦23)年
壱岐島に配した大宰府管内6国の防人20人を廃止する 壱岐島の兵士300人を分番配置する【日本後紀】
782~806年〔延暦年間〕
桓武天皇の命により兵主神社〔芦辺町〕を建立する【壱岐国神名記】
806(大同1)年
壱岐が水害と疫病に見舞われたため、1年間、税を免除される【類聚国史】
815(弘仁6)年
壱岐島医師に大初位下蕨野勝真吉の名有り【続日本後紀】
816(弘仁7)年
異賊襲来に備え、壱岐島内の2か所の関を置き、14ヵ所の要害を構える【日本後紀】
828(天長5)年
壱岐直方磨を壱岐国造に任命する
835(承和2)年
新羅人の来航に備え、壱岐島内を防人330人に守らせる【続日本後紀】
837(承和4)年
第17回の遣唐使船が逆風に遭い遭難する 第1船と第4船は壱岐に、第2船は値嘉島に漂着する【続日本後紀】
838(承和5)年
新羅商人の往来に備え、壱岐島に弩師を置く 壱岐島内には弩100脚有り【類聚三代格】
844(承和11)年
諸国の例に準じ薩摩・大隅・壱岐諸国に講師を置く【続日本後紀】
845(承和12)年
日向・薩摩・大隅・壱岐・対馬諸国の博士・医師の任期を6年とし、内位に叙する【続日本後紀】
851(仁寿元)年
この頃、壱岐の人口10,600人、対馬7,400人と記されている【類聚三代格】
856(斉衡3)年
ト部雄貞が「ト部」を改めて「占部宿禰」を賜う【壱岐神社誌】
859年
海神社〔勝本町〕を従五位にする【日本三大実録】
863(貞観5)年
石田郡の占部是雄と占部業孝に「壱岐宿祢」の姓を授ける【日本三代実録】
866(貞観8)年
伴秋実、応天門の変により壱岐に流罪となる【日本三代実録】
869(貞観11)年
伊岐宿禰是雄を「丹波権椽」に任命する【壱岐神社誌】
870(貞観12)年
壱岐島に武具〔冑・手纒各200〕を送る【日本三代実録】
870(貞観12)年
筑前・肥前・壱岐・対馬などの国に対し、外敵に備えさせる【日本三代実録】
871(貞観13)年
壱岐島に冑などの武具400具備える
872(貞観14)年
従五位下宮主伊伎宿袮是雄が没する〔享年54歳〕【日本三代実録】
876(貞観18)年
壱岐の水田616町有り これは『倭名抄』の620町におおむね一致する【日本三代実録】
880(元慶4)年
伴秋実、恩赦により放免となる【日本三代実録】
883(元慶7)年
朝廷は周防国司に命じて、再び伴秋実を壱岐へ配流する【日本三代実録】
894(寛平6)年
新羅の賊が壱岐を襲い、官舎などを焼き払う
895(寛平7)年
大宰府に新羅の賊が壱岐島に襲来したことを報告する【日本紀略】
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