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1400(応永7)年
神岳山金蔵寺〔新城西触〕に「応永七年」銘の銅造鰐口有り
1406(応永13)年
将軍足利義満によって、壱岐国安国寺領(3,000石)の停止が復活する
1408(応永15)年
志佐代官兵部少輔源武が真弓城に入る
1412(応永19)年
神岳三所権現宮〔新城西触〕に銅造梵鐘の寄進有り
1433(永享5)年
刈田院覚音寺〔立石西触〕に唐鐘が奉納される
1433(永享5)年
志佐壱岐守重が壱岐を攻めて全島を統治する
1434(永享6)年
神岳三所権現宮伝来の馬牌銘に明の宣徳9年と有り
1435(永享7)年
神楽舞人数の事の記録あり【聖母宮文書】〔壱岐神楽についての最古の記録〕
1429~1441年〔永享年間〕
朝鮮使節の朴瑞正が来朝し、壱岐・平戸等の海賊を禁止することを要望する【世宗実録】
1444(文安1 嘉吉4)年
神岳山金蔵寺〔新城西触〕に「嘉吉四年」銘の木造薬師如来坐像有り
1454(享徳3)年
新庄村中津宮〔北触〕を造営し遷宮する 宮司を吉野五郎三郎末貞を迎える【吉野氏系譜】
1462(寛正3)年
壱岐国安国寺への壱岐守源義の寄進状あり【松浦家世伝】 源義、壱岐州安国禅寺の仏殿を造営し、寺領を寄進する
1462(寛正3)年
壱岐守源義が安国寺を造営し、境内の竹木山林などを寄進するとあり
1470(文明2)年
天山瑞石和尚が医王山三光寺を勝本浦坂〔坂本触〕に開く
1471(文明3)年
蘭室秀和尚が温泉山医王院〔立石西触〕を再興する
1471(文明3)年
『海東諸国図』の中に日本国一岐島で壱岐が登場する
1472(文明4)年
上松浦岸岳城主波多泰が壱岐を奇襲する 志佐壱岐守源義ら五氏代官を湯岳田原城に討ち、壱岐を領有する のちに亀丘城を改築して居城とする
1477(文明9)年
橘頼兼が熊野神社〔立石南触〕に狛犬を奉納する
1482(文明14)年
岳山地蔵堂〔百合畑触〕に「文明14年」銘の石面地蔵像有り
1486(文明18)年
1046(重熙15)年の高麗初版大般若経が川棚長浜明神より安国寺に施入替えとなる
1487(長享1)年
白花山刈田院覚音寺〔立石西触〕を再建する
1489(延徳元)年
波多下野守興が川北と中ノ郷を女婿の松浦興信に譲与する【続風】
1490(延徳2)年
箱崎八幡宮を造営する 棟札に壱岐守波多泰と波多与と記す【吉野文書】
1497(明応6)年
榎川の阿弥陀堂〔布気触〕に鰐口寄進有り
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