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1900(明治33)年
火葬場〔南触〕を設置する
1900(明治33)年
田河村農事試験場を設置する
1802(明治35)年
中上長平〔勝本浦〕が羽魚網を考案し、操業を行い、好成績をおさめる
1903(明治36)年
渡良郵便局を新設する〔局長 南部友三郎〕
1904(明治37)年
韓国航路の信濃川丸が郷ノ浦に寄港することが決定する〔長崎⇔壱岐⇔対馬⇔釜山⇔仁川航路)
1905(明治38)年
「壱岐新報」を発刊する〔岩永恒太〕
1906(明治39)年
壱岐郡畜産組合を結成する〔組合長 永元嘉十郎〕
1906(明治39)年
「壱岐一六日報」を創刊する〔前身は「壱岐新報」 発行責任者 岩永恒太〕
1906(明治39)年
瀬戸郵便局を開局する〔局長 土肥徳十〕
1907(明治40)年
国分郵便局が開局する〔局長 秋山東〕
1907(明治40)年
壱岐郡漁業組合を結成する〔組合長 白川助太郎〕
1907(明治40)年
若津丸〔唐津⇔釜山航路〕が郷ノ浦へ寄港する
1907(明治40)年
郷ノ浦⇔勝本間に定期馬車が開通する〔運賃35銭〕
1908(明治41)年
対馬と共に福岡県への転県運動が起こる
1908(明治41)年
長崎県立中学校猶興館壱岐分校の設置が決定する
1908(明治41)年
壱岐唯一の郷土新聞「一六日報」が廃刊となる
1909(明治42)年
郷ノ浦で大水害が起きる〔永田川氾濫(死者3名)〕
1911(明治44)年
『壱岐植物目録』を出版する〔壱岐郡教育会発行 横田二郎著〕
1911(明治44)年
芦辺港に定期汽船航路が就航する
1912(明治45)年
松永安左ェ門が福岡で衆議院議員に当選する
1913(大正2)年
「壱岐集報」を発刊する〔壱岐日報の前身 社長 長島直衛〕
1914(大正3)年
壱岐電燈株式会社を設立する〔社長 松永安左ェ門 所員12名、40キロワットモーター1基送電戸数1,203戸〕
1914(大正3)年
勝本⇔芦辺線の県道が開通する
1915(大正4)年
壱岐電灯株式会社が送電を開始する
1915(大正4)年
渡良小学校原島分校を設置する
1916(大正5)年
「壱岐民報」を発刊する〔代表 立石重人〕
1917(大正6)年
芦辺小学校の水泳指導中に真辺貞雄が田河村清石浜で水死する
1917(大正6)年
詩人三富朽葉〔渡良村出身〕が犬吠崎にて友人今井白揚と共に溺死する
1918(大正7)年
渡良小学校長島分校を設置する
1918(大正7)年
後藤正足が『壱岐郷土史』を出版する
1918(大正7)年
赤木要次郎がはじめて壱岐と対馬に自動車を走らせる
1919(大正8)
赤山合名会社の事業を継承し、壱岐交運株式会社を設立する〔社長 立石重人〕
1919(大正8)年
大正14年まで熊本利平は本郡教育振興のため、物心両面に亘り多大の援助する
1920(大正9)年
壱岐運輸株式会社を設立する〔社長 田町栄一、印通寺⇔呼子航路〕
1920(大正9)年
壱岐丸を就航する〔後に唐津資本と併せて壱岐唐津運輸株式会社を設立する〕
1920(大正9)年
対馬商船株式会社を設立する〔博多⇔壱岐⇔対馬間航路〕
1920(大正9)年
「壱岐新聞」を発刊する〔町田友太郎〕
1920(大正9)年
第1回国勢調査を施行する〔壱岐郡の人口、38,669人、長崎県1,136,182人〕
1922(大正11)年
郡立壱岐高等女学校を長崎県に移管し、「長崎県立壱岐高等女学校」と改称する
1922(大正11)年
郷ノ浦郵便局が電話事務を開始する〔開始時47台〕
1923(大正12)年
天真丸・睦丸が対馬航路〔博多⇔壱岐⇔対馬間〕を毎日就航する
1923(大正12)年
第1回対馬との親善運動競技大会を開催する〔厳原大会〕
1923(大正12)年
釧路丸〔博多⇔釜山航路〕が就航する
1923(大正12)年
松本友雄が原の辻遺跡を発見する
1923(大正12)年
宮内省御用掛の増田千信が古墳調査のため来島する
1924(大正13)年
山口清が〔郷ノ浦⇔渡良三島間〕の渡海船の営業を開始する
1924(大正13)年
筒城浜にはじめて飛行機が着陸する
1924(大正13)年
沢柳政太郎博士の尽力により米国のヘレンパーカスト女史(ダルトンプラン主唱者)来島する 盈科小学校を訪問する
1925(大正14)年
郡内最初の公立幼稚園として武生水幼稚園が開園する
1925(大正14)年
壱岐毎日新聞を発刊する〔社長 川内栄一郎〕
1925(大正14)年
鯨伏村立石の熊野神社が焼失する〔昭和4年再建〕
1926(大正15)年
品川鉄摩が『壱岐植物誌』を出版する
1926(大正15)年
戦艦「陸奥」が郷ノ浦に入港する
1926(大正15)年
後藤正足が『壱岐神社誌』を出版する
1926(大正15)年
壱岐郡役所を廃止して長崎県壱岐支庁を設置する
1926(大正15)年
本田清信盈科小学校長等6名が新教育視察のため渡米する〔藤江徳春、柴山鼎、藤井利亀雄、山口一行、浦川伊助〕
1926(大正15)年
沼津⇔湯之本本線が開通し、壱岐一周線が完成する〔定期バス乗り入れ バス代郷ノ浦⇔沼津50銭 郷ノ浦⇔湯之本70銭〕
1927(昭和2)年
初瀬郵便局を開局する〔局長 成石定一郎〕
1927(昭和2)年
沼津郵便局を開局する〔局長 岩川勝馬〕
1928(昭和4)年
郡外電話の供給が開始される
1928(昭和3)年
英彦丸〔40t〕が郷ノ浦⇔唐津航路を就航する
1928(昭和3)年
松永安左ェ門が「東邦電力」の社長に就任する
1928(昭和4)年
源三神社〔東触〕で、源蔵を祀る百年祭を行われる
1928(昭和4)年
筒城浜壱州八景が1等に当選する
1930(昭和5)年
京都臨済宗建仁寺派管長竹田黙雷〔香椎村出身〕が遷化される〔享年77才 嘉永7年7月30日生まれ〕
1930(昭和5)年
山口麻太郎が『壱岐島方言集』を出版する
1933(昭和8)年
5年の月日をかけて黒崎砲台が完成する
1933(昭和8)年
「壱岐日々新聞」を創刊する〔益川菊太郎〕
1933(昭和8)年
山口麻太郎が「壱岐郷土研究所」を開設する
1934(昭和9)年
勝本城山公園に河合曽良の句碑が完成する
1934(昭和9)年
各町村対抗壱岐一周駅伝大会を開催する〔石田チーム優勝(壱岐毎日新聞社主催)〕
1934(昭和9)年
「雪州時報」を創刊する〔中山泉男〕
1934(昭和9)年
八幡浦が大火に見舞われる
1934(昭和9)年
山口麻太郎『壱岐島民俗誌』と『百合若説教』を出版する
1934(昭和9)年
串山半島〔勝本港〕に防波堤を築造する〔長さ100間〕
1934(昭和9)年
野母商船は長崎⇔郷ノ浦⇔対馬航路に第一太古丸・第二太古丸を就航させる
1935(昭和10)年
月刊誌「壱岐正論」を創刊する〔後藤槌雄・鉄槌〕
1935(昭和10)年
山口麻太郎が『壱岐島昔話集』を出版する
1935(昭和10)年
北九州商船株式会社を「九州郵船株式会社」と改称する
1935(昭和10)年
郷ノ浦が大火に見舞われる〔迎町・築出町 12戸焼失〕
1936(昭和11)年
梨本宮殿下が壱岐に御来島される〔筒城浜・錦浜を御観覧〕
1937(昭和12)年
山口麻太郎が『続壱岐島方言集』を出版する
1938(昭和13)年
壱岐に木炭車が走る
1938(昭和13)年
武生水職業紹介所を設置する〔所長 奥平泰之〕
1938(昭和13)年
芦辺⇔瀬戸浦間の渡し舟が出る〔舟賃 小学生で往復5銭〕
1939(昭和14)年
島内で葉たばこの耕作が始まる
1939(昭和14)年
紙〔パルプ〕不足のため、郷土新聞3社が解散統合 壱岐日報・雪州時報・壱岐日々新聞〔壱岐正論は不参加〕
1940(昭和15)年
郷ノ浦に昭和橋が架橋する
1940(昭和15)年
壱岐郡煙草耕作組合連合会を設立する
1941(昭和16)年
壱岐陸軍病院を開設する 〔後の国立かたばる病院〕
1942(昭和17)年
壱岐史蹟名勝天然記念物保護顕彰会を創設する〔会長 山口麻太郎〕
1943(昭和18)年
熊本記念講堂が完成する〔石田国民学校を併置〕
1943(昭和18)年
長崎県金属非常回収工作隊が結成され、寺院の梵鐘や銅像が回収される
1944(昭和19)年
県下の中学校に学徒動員の指令がでる
1944(昭和19)年
軍用機壱岐号2機を献納する〔16万円 村川善美〕
1944(昭和19)年
壱岐上空で空中戦が行われる B29、1機が墜落〔2人死亡、数人捕虜〕
1944(昭和19)年
壱岐公立病院が日本医療団に接収さる〔昭和23年に返還される〕
1945(昭和20)年
石田国民学校講堂に米空軍が爆弾を投下する〔学童死傷者なし〕
1945(昭和20)年
珠丸〔800t〕が浮遊機雷に触れて勝本沖で沈没する
1947(昭和22)年
九州郵船が長崎航路に功丸、博多航路に阿多田丸を就航する
1947(昭和22)年
国民学校は小学校となり郡内12ヵ町村に各町村立中学校が設立される
1947(昭和22)年
田河村が「田河町」と改称する
1947(昭和22)年
大衆丸〔848t〕が博多航路を就航する
1947(昭和22)年
九州郵船株式会社が壱岐出張所を設置する
1948(昭和23)年
国家地方警察壱岐地区警察署を設立する
1948(昭和23)年
壱岐中学校を「壱岐第一高等学校」、壱岐高等女学校を「壱岐第二高等学校」と改称する
1948(昭和23)年
12ヶ町村をもって壱岐郡町村組合を設立する
1948(昭和23)年
各町村農業協同組合が発足する
1948(昭和23)年
対馬公共職業安定所壱岐出張所を設置する
1949(昭和24)年
武生水図書館を設立する
1949(昭和24)年
各町村の漁業組合は「漁業協同組合」と改称する
1949(昭和24)年
長崎県立壱岐高等学校勝本分校を設立する〔定時制 仮校舎霞翠小学校〕
1949(昭和24)年
第1回玄海体育祭〔玄海オリンピック 3島(平戸、壱岐、対馬)の親善体育大会を壱岐で開催〕
1949(昭和24)年
日本通運株式会社壱岐営業所を開設する 郷ノ浦電報電話局を設置する
1950(昭和25)年
壱岐交運株式会社が三輪乗用車「みずしま号」を配備する
1950(昭和25)年
壱岐郡南部町村組合立武生水中学校が発足する〔武生水・柳田・志原〕
1950(昭和25)年
黒崎砲台をはじめ、大島、初山東触、名烏島、タンス湾にある砲台を撤去する
1951(昭和26)年
「新壱岐」新聞を発刊する〔山本武生、目良嘉弘〕
1951(昭和26)年
原の辻遺跡の発掘調査を東亜考古学会が行う
1952(昭和27)年
勝本町養老院を開院する〔勝本町仲触、御茶屋屋敷跡〕
1953(昭和28)年
離島振興法が公布される
1953(昭和28)年
若宮灯台は「若宮航路標識事務所」と改称する
1953(昭和28)年
男島丸〔349t〕が博多航路を就航する
1953(昭和28)年
品川鉄摩が志原村〔郷ノ浦町〕大原触において「スキヤクジャク群落」の新産地を発見する
1954(昭和29)年
NHKのど自慢が盈科小学校で行われる
1954(昭和29)年
入院患者の放火により国立療養所壱岐病院が全焼する
1955(昭和30)年
第9回国勢調査が実施される 〔壱岐郡の人口5万1,765人〕
1955(昭和30)年
2町村が合併して芦辺町となる〔田河町 那賀村〕
1955(昭和30)年
武生水税務署を「壱岐税務署」と改称する
1955(昭和30)年
勝本町として2ヶ町村が合併する〔勝本町、鯨伏村〕
1955(昭和30)年
町村合併により郷ノ浦町誕生〔武生水町、渡良村、柳田村、沼津村、志原村、初山村〕
1955(昭和30)年
観世音寺〔立石南触〕が全焼する〔昭和32年再建〕
1956(昭和31)年
県立壱岐高等学校勝本分校を「勝本高等学校」と改称する〔定時制〕
1956(昭和31)年
芦辺町に箱崎村が編入する
1956(昭和31)年
県立勝本高等学校を「県立壱岐北高等学校」と改称する
1956(昭和31)年
品川鉄摩が『わかりやすい壱岐植物図説・上巻』を出版する
1956(昭和31)年
「壱岐志原のスキヤクジャク群落」が県の天然記念物に指定される
1957(昭和32)年
山口麻太郎が『平戸藩法令規式集成』全3巻を出版する
1957(昭和32)年
牧山数馬が『壱岐神楽考』を出版する
1957(昭和32)年
新造船壱州丸〔586t〕が博多航路を就航する
1957(昭和32)年
諸吉内海青島付近で真珠養殖を開始する
1957(昭和32)年
壱岐観光連盟を設立する〔初代会長 久保幸喜〕
1958(昭和33)年
壱岐郷土館が開館する
1958(昭和33)年
壱岐の自動車等の調査が行われる〔タクシー35台、バス20台、トラック7台、小型トラック5台、三輪車256台、バイク104台〕
1958(昭和33)年
石田村に郷ノ浦町久喜触が編入される
1958(昭和33)年
壱岐県立公園の指定を受ける
1959(昭和34)年
三島丸が就航する〔定員70名〕
1959(昭和34)年
長崎県立壱岐商業高等学校設立開校〔初代校長 猿渡和義〕 ※全日制商業高校として離島では全国初
1959(昭和34)年
渡良原島に電話が開通する
1961(昭和36)年
石田町が芦辺町射手吉触及び興触の一部を編入する〔60戸、309人〕
1961(昭和36)年
品川鉄摩が『壱岐薬用植物』を出版する
1961(昭和36)年
三島漁協経営の三島航路を480万円で譲り受け、郷ノ浦町営となる
1961(昭和36)年
鬼の窟古墳と国分ヒイラギが県文化財に指定される
1962(昭和37)年
厳原労働基準監督署郷ノ浦駐在所を設置する
1962(昭和37)年
目良嘉弘作詞「孤島の丘」がレコード出版される
1963(昭和38)年
新造船対州丸〔642t〕が博多航路を就航する
1963(昭和38)年
壱岐海運株式会社を設立する〔代表取締役 稗田憲太郎〕
1963(昭和38)年
公立壱岐老人ホームを設立する〔勝本町養老院を閉鎖〕
1963(昭和38)年
郷ノ浦町立自動車教習所を設置する〔佐世保共立自動車学校に運営委託〕
1963(昭和38)年
勝本町漁業協同組合が鯨伏漁業協同組合を併合する
1963(昭和38)年
長島重義が『壱岐年代譜』を出版する
1963(昭和38)年
田河中学校が火災に見舞われる〔1,108平方メートル焼失〕
1964(昭和39)年
渡良三島に送電工事が完成する
1964(昭和39)年
三島小学校を設立する〔大島に本校を置き原島、長島に分校を置く〕
1964(昭和39)年
箱崎中山干拓が完成する〔24町歩〕
1965(昭和40)年
合併により郷ノ浦町漁業協同組合を設立する
1965(昭和40)年
安国寺大般若経が県文化財に指定される
1965(昭和40)年
福岡⇔壱岐間にヘリコプター運航開始 ヘリポート完成〔郷ノ浦町東触大谷原、西日本空輸、片道大人2,700円〕
1965(昭和40)年
郡内12農協合併により「壱岐郡農業協同組合」を設立する〔初代組合長 平田庄次郎〕
1966(昭和41)年
壱岐空港の供用が開始される 〔長崎航空DC3型機就航〕
1967(昭和42)年
新三島丸が就航する〔鋼船49.5t 定員115人〕
1967(昭和42)年
大韓民国人遭難者慰霊碑を建立する〔代表伊豆末男、布谷嘉章、坂本金敏〕
1967(昭和42)年
福岡空港⇔壱岐空港間を全日空のフレンドシップ機〔定員40名〕が就航する
1968(昭和43)年
武生水保育所を設立する〔壱岐で始めての保育所 職員5名、保育人員80名〕
1968(昭和43)年
男岳石猿及び国分寺跡を芦辺町文化財に指定される
1968(昭和43)年
壱岐・対馬国定公園に指定される
1969(昭和44)年
安国寺大杉及び元寇古戦場が芦辺町文化財に指定される
1969(昭和44)年
白沙八幡神社の社叢が県文化財に指定される
1969(昭和44)年
国民宿舎「壱岐島荘」が完成する
1969(昭和44)年
渡良三島に簡易水道が完成する
1969(昭和44)年
壱岐に始めて交通信号機を設置する〔郷ノ浦本町九銀前交差点〕
1969(昭和44)年
セミフェリー「あそう丸」〔944t〕が博多⇔壱岐⇔対馬間に就航する
1970(昭和45)年
壱岐郡火葬場を設置する
1970(昭和45)年
フェリー「壱岐」〔400t〕が呼子⇔印通時間に就航する
1970(昭和45)年
九州大学調査班が国分寺跡の発掘調査を行う
1970(昭和45)年
郷ノ浦港ターミナルビルが完成する
1971(昭和46)年
壱岐郡町村会の文化功労者として第一回文化功労賞を山口麻太郎が受賞する
1971(昭和46)年
厚生省「国民保養温泉地」として湯本温泉が指定される
1971(昭和46)年
勝本町立石西触六郎瀬海岸より古代象ステゴドンの化石が発見される
1971(昭和46)年
電力の鬼、松永安左ェ門が逝去〔勲一等瑞宝章受賞 享年95歳〕
1971(昭和46)年
松永安左ェ門記念館が開館する
1972(昭和47)年
勝本保養温泉センターを開設する
1972(昭和47)年
福岡⇔壱岐空港間に飛行機〔YS11〕が就航する
1972(昭和47)年
カーフェリー「つしま」〔1,575t〕が博多⇔壱岐⇔対馬間に就航する
1972(昭和47)年
山口麻太郎が『日本の民俗長崎』を出版する
1973(昭和48)年
中上史行が『壱岐国物語』を出版する
1974(昭和49)年
山口麻太郎が『西海の伝説』を出版する
1974(昭和49)年
国道第382号線〔勝本⇔印通時間〕が開通する
1974(昭和49)年
『山口麻太郎著作集』〔全3巻1説話篇 2方言と諺篇 3歴史民俗篇〕が出版される
1974(昭和49)年
安国寺跡及び国分寺跡が県文化財に指定される
1974(昭和49)年
原の辻遺跡〔大原墓域〕の発掘調査が行われる
1975(昭和50)年
大型フェリー「はかた」〔1,732t〕が博多⇔壱岐⇔対馬航路を就航する
1975(昭和50)年
野生号が勝本港に入港する
1975(昭和50)年
瀬戸浦古戦場跡〔弘安の役古戦場〕が県文化財に指定される 高麗版大般若経が国の重要文化財に指定される
1976(昭和51)年
梅ノ木ダム〔70万t〕が完成する
1976(昭和51)年
長者原化石が県文化財に指定される
1976(昭和51)年
石田町民俗資料館が開館する
1977(昭和52)年
西川福雄が『観光ガイドブック壱岐』を出版する
1977(昭和52)年
11月17日から18日の2日間、司馬遼太郎が『街道を行く』の取材のため壱岐に来島する
1977(昭和52)年
長崎航空が長崎⇔壱岐間の不定期便を就航する
1977(昭和52)年
『壱岐の生物』が出版される
1973(昭和53)年
イルカ1,010頭を辰の島に追込み、米国、カナダ等より抗議が相次ぐ
1978(昭和53)年
高速艇「ホブライナー」〔44t〕が博多⇔壱岐航路を就航する〔29ノット、定員92名〕
1978(昭和53)年
筒城浜に「野外趣味活動施設」を建設する
1979(昭和54)年
山口麻太郎が『壱岐島明治文化史』を出版する
1979(昭和54)年
大渕観光高速船「グレイトライナークイン号」〔98t〕が博多⇔勝本間を就航する〔27ノット、定員88名〕
1979(昭和54)年
当田ダム〔44万t〕が完成する
1980(昭和55)年
九州郵船高速船「シーエース」〔475t〕が博多⇔壱岐航路を就航する〔28ノット、定員231名〕
1980(昭和55)年
米人ケイトが辰の島のイルカ囲い網を破ってイルカを逃がし、威力業務妨害罪で起訴される 「懲役刑6ヶ月、執行猶予3年」の判決後国外退去処分となる
1980(昭和55)年
長崎航空が壱岐⇔対馬間に不定期便を就航する
1981(昭和56)年
山本隆夫が『写真で見るガイドブック壱岐』を出版する
1981(昭和56)年
勝本ダム〔110万t〕が完成する
1982(昭和57)年
本居トンネルが開通する
1982(昭和57)年
第8回全国消防操法大会〔ポンプ車の部〕で芦辺消防団が優勝する
1982(昭和57)年
山口麻太郎著が『壱岐国史』・『壱岐国地名誌』を出版する
1982(昭和57)年
岡博が写真集『壱岐』を出版する
1983(昭和58)年
九州郵船がフェリー「壱岐」に代わって新造船「げんかい」〔675t〕を印通寺⇔呼子間で就航する
1983(昭和58)年
株式会社「壱岐カントリー倶楽部」を設立する
1983(昭和58)年
壱岐郡町村会文化功労章第2回受賞者に品川鉄摩が選ばれる
1983(昭和58)年
芦辺町青島に「新壱岐発電所」を設置する
1983(昭和58)年
品川鉄摩が『壱岐の植物』を出版する
1985(昭和60)年
永田ダム〔21万t〕が完成する
1985(昭和60)年
第15回国勢調査が実施される〔壱岐郡の人口、3万9,528人となり、4万人を割る〕
1986(昭和61)年
映画「波光きらめく果て」のロケーションが八幡浦で行わる〔原作高樹のぶ子、監督藤田敏八、主演松坂慶子、大竹しのぶ、渡瀬恒彦〕
1986(昭和61)年
須藤資隆、山本隆夫が『壱岐島史年表』を出版する
1986(昭和61)年
「フェリーみしま」〔70t〕が就航する
1986(昭和61)年
森村旦が『壱岐方言辞典』を出版する
1987(昭和62)年
印通寺港ターミナルビルが完成する
1987(昭和62)年
「壱岐神楽」が国重要無形民俗文化財に指定される
1987(昭和62)年
第1回壱岐の島新春マラソン大会を開催する〔芦辺町主催〕
1987(昭和62)年
郷ノ浦港元居公園に春一番の記念塔が建設される
1987(昭和62)年
九州郵船が「フェリー呼子」に代わって、新造船「フェリーあずさ」〔682t〕が印通寺⇔呼子航路を就航する
1987(昭和62)年
台風12号来襲し、島内各地で被害が相次ぐ〔8月31日、午前2時45分、最大瞬間風速、南南西52・5m〕
1988(昭和63)年
大川海運物産〔大川市〕が博多⇔壱岐⇔対馬航路に「フェリーやまと」〔1,000t〕を就航する
1988(昭和63)年
3月第3日曜日春一番風のフェスタ和舟「舟ぐろ」・「親子ふれあい鬼凧飛ばし」が郷ノ浦湾頭一帯を会場に始まる
1989(平成元)年
俳人河合曽良280年祭を開催する〔句碑を城山に建立する〕
1989(平成元)年
壱岐サイクルフェスティバル〔第1回サイクル、ロードレース〕が開催される
1989(平成元)年
掛木古墳・笹塚古墳の発掘調査が行われる 金銅製馬具や亀型飾金具などが見つかる
1989(平成元)年
九州郵船フェリー「ニューつしま」〔1776t〕を博多⇔壱岐⇔対馬間に就航する
1990(平成2)年
「壱岐風土記の丘」が完成する
1991(平成3)年
3月5日 石田町久喜漁港にベトナム難民19人が漂着する
1991(平成3)年
九州郵船がジェットフォイル「ヴィーナス」を博多⇔壱岐⇔対馬航路に就航する〔43ノット〕
1991(平成3)年
環境庁湯之本を国民保養温泉地に指定される
1992(平成4)年
幡鉾川流域344ヘクタール総合整備事業に着工する
1993(平成5)年
イルカパークをイルカプール化し、観光見学利便公園化がすすむ
1993(平成5)年
原の辻遺跡が『魏志』倭人伝の「一支国」の王都(拠点集落)と特定される
1993(平成5)年
郷ノ浦港新ターミナルビルが完成する
1993(平成5)年
全国ゲートボール大会壱岐大会が行なわれる
1994(平成6)年
九州郵船フェリー「ちくし」〔1,931t〕が博多⇔壱岐⇔対馬間を就航する〔974人、普通車換算69台〕
1995(平成7)年
壱岐・原の辻展示館が開館する
1995(平成7)年
老人保健施設「壱岐」が湯之本に完成する
1996(平成8)年
壱岐文化ホールが完成する ホール内に壱岐郷土館を併設する
1997(平成9)年
郷ノ浦トンネルが完成する
1997(平成9)年
壱岐出会いの村が完成する
1997(平成9)年
原の辻遺跡が国史跡に指定される
1998(平成10)年
大島と長島間を橋で結ぶ〔橋名:珊瑚大橋〕
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