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歴史情報


壱岐の歴史情報
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1803(享和3)年  地割りに抗議して源蔵〔源三〕事件起こる
1803(享和3)年  源蔵〔源三〕が起こした事件のことが記される〔百姓源蔵事件〕【太宰府天満宮御講主善作】
1807(文化4)年  琉球の住民が印通寺浦に漂着する 平戸を経て長崎に送り帰国させる
1808(文化5)年  勝本土肥市兵衛が金800両を藩主に献上する
1809(文化6)年  松浦熙が壱岐に大銃を設置する
1810(文化7)年  刀鍛冶脇山形七〔刀工名:正行〕の勝本居住が許可される【城代日記】
1810(文化7)年  勝本押役所と若宮島遠見番に足軽配置 中尾丹弥の指揮のもと、稽古場において軍事訓練を行う【郡方日記】
1810(文化7)年  松浦熙が儲米300石を壱岐に置いて非常時に備える
1811(文化8)年  聖母神社に「文化八年」銘の刀有り〔脇山正行作〕
1813(文化10)年  伊能忠敬が平戸・壱岐・対馬・五島などを実測する
1814(文化11)年  源蔵〔源三〕と作五郎が遠流となる【太宰府天満宮御講主善作】
1820(文政3)年  益富又右衛門が勝本にて捕鯨を行う
1820(文政3)年  源蔵(源三)が百間馬場において処刑される〔享年43歳〕
1820(文政3)年  源蔵〔源三〕を壱岐に送致する
1825(文政8)年  印通寺浦の天満屋與右衛門の船が小呂島にて難航する
1826(文政9)年  勝本の名烏島に朝鮮の船板が漂着する【熊野神社記】
1830(天保1)年  印通寺浦の百崎常蔵の住神丸が瀬戸浦口にて破船する
1838(天保9)年  勝本をめざす平戸大島の船が渡良にて難船する
1839(天保10)年  覚瑜が流罪者の娘と結婚し渡良村に居住する【福田家文書】
1840(天保11)年  勝本原田元右衛門〔二代目〕の捕鯨活動が許可される【原田家文書】
1843(天保14)年  勝本原田元右衛門が捕鯨業を営む
1845(弘化2)年  亀丘城を再築する【壱岐国御順見之記】
1849(嘉永2)年  異船船の通報を受け出兵する 平戸本藩より手当ての人数派遣する
1849(嘉永2)年  異国船を勝本沖で発見する 土肥甚右衛門が急報する
1850(嘉永3)年  壱岐近海に異国船5艘あらわれる
1854(安政1 嘉永7)年  本宮八幡宮〔本宮西触〕に「嘉永七年」銘の武者絵馬有り
1855(安政2)年  壱岐に社倉を設置する【松浦家世伝】
1855(安政2)年  平戸親衛士隊長の葉山高行が玉主売の建碑を建立する
1855(安政2)年  勝本浦沖に異国船渡があらわれる
1856(安政3)年  異国船打払令が出る
1856(安政3)年  壱岐近海に異国船があらわれる
1857(安政4)年  幕府の蒸気軍艦観光丸〔旧スームビング号〕が壱岐沖を航行する
1857(安政4)年  聖母神社に山内利兵衛作の「安政四年」銘の神使石像〔石牛〕有り
1858(安政5)年  可須村の軍用米50俵〔20石〕を立石村に預ける【郡方日記】
1859(安政6)年  郷ノ浦町元居の漁船が五島沖で強風により遭難し、53人死亡 ※『春一番』の語源となる
1861(文久1)年  佐賀藩の軍艦が勝本に入港する
1861(文久1)年  後藤正恒と吉野靹千代が『壱岐名勝図誌』を編纂し、藩主に提出する
1861(文久1)年  壱岐城代が岳の辻遠見番に大砲を設置する
1861(文久1)年  異国船が勝本浦に入港し、測量する【王政復古録】
1861(文久1)年  壱岐に軍用米1000俵を備える【松浦家文書】
1864(元治1)年  鯨組の原田氏が藩主より「永取」姓を賜う【苗字目録】
1865(慶応1)年  深江田原の津合橋を石橋に架け替える
1867(慶応3)年  水神社〔布気触〕に「慶応三年」銘の狛犬一対有り
1868(明治元)年  壱岐島は壱岐郡と石田郡の2郡が有り 〔壱岐郡は13村、石田郡は11村〕
1869(明治2)年  庄屋を「里長」、浜使を「港幹」、勝本押役所を「按撫使」、遠見番頭を「烽火司」と改称する
1869(明治2)年  平戸藩主松浦詮が版籍奉還する〔壱岐の平戸藩の壱岐領有終わる〕
1870(明治3)年  喜応寺跡に壱岐郷学創設〔当時の生徒数約80名〕
1870(明治3)年  壱岐城代を「督撫使」と改称し、葉山高尚を任命する〔同年12月廃官となる〕
1871(明治4)年  廃藩置県により5藩〔長崎、平戸、島原、福江、大村〕が合併して、長崎県となる
1871(明治4)年  住吉神社境内の神池から神鏡一七面が見つかる
1871(明治4)年  住吉神社が国幣中社に列せらる
1871(明治4)年  平戸藩知事に就任した松浦詮藩知事が壱岐島を巡視する
1872(明治5)年  3大区にそれぞれ「区長」を置き、実務は「里正」が取り仕切る 村には「小頭」を置く
1872(明治5)年  郷ノ浦郵便所を設置する〔所長 長田惣兵衛〕
1872(明治5)年  石田、筒城、池田3村戸籍を編成する〔原戸籍の原型となる〕
1872(明治5)年  壱岐郡を3大区に区分し、全島を22小区〔村〕とする
1873(明治6)年  3大区を廃止して、壱岐全島を第30大区の1区とする 区役所は武生水に置く
1873(明治6)年  犬狩騒動が起きる 3月18日に郷ノ浦、19日に湯之本、20日に印通寺を襲う
1847(明治7)年  諸吉小学校・武生水小学校・渡良小学校(大平寺)・可須小学校・箱崎小学校を設置する
1874(明治7)年  各自で地割りが行われ土地は個人の所有となる
1875(明治8)年  霞翠小学校の分舎として勝本小学校を設置する〔仮教室を聖母神社、金比羅神社、おかりど、川尻大神宮等に置く〕
1875(明治8)年  志原小学校〔円光寺〕を設置する
1875(明治8)年  勝本郵便局を設置する〔香椎と鯨伏所轄、局長小金丸仙三郎〕
1875(明治8)年  初山小学校、渡良小学校大島分校、立石小学校〔観世音寺、鯨伏小学校の前身〕を設置する
1875(明治8)年  石田小学校を設置する
1875(明治8)年  武生水小学校を「盈科小学校」と改称する
1875(明治8)年  可須小学校を「霞翠小学校」と改称する
1875(明治8)年  長峰小学校〔玉泉寺、沼津小学校の前身〕と半城小学校〔祥雲寺、柳田小学校の前身〕を設置する
1876(明治9)年  黒崎小学校〔高源院〕を設置する
1876(明治9)年  諸吉小学校芦辺分校及び諸吉小学校八幡分校を設置する
1876(明治9)年  本宮小学校〔報恩寺、のちに立石小学校の分校となる〕を設置する
1876(明治9)年  石田小学校筒城分教場を設置する
1876(明治9)年  箱崎小学校瀬戸分校を設置する
1878(明治11)年  壱岐郡・石田郡の2郡を置く 郡役所を武生水に設置する
1878(明治11)年  各村に戸長役所を設置する〔23ヶ所〕
1878(明治11)年  長崎県議会議員の定数が決定する 壱岐郡・石田郡で定員3名
1878(明治11)年  箱崎小学校新城分校を設置する〔同年10月に新城校として独立する〕
1879(明治12)年  半城小学校を「柳田小学校」と改称する
1879(明治12)年  第1回県会議員選挙が行われる〔立石傅平(武生水村)、江田庄四郎(石田村)、斎藤兵弥(本宮村)が選出〕
1880(明治13)年  印通寺郵便局を設置する〔局長 垣田精一〕
1880(明治13)年  芦辺郵便局を設置する〔局長 篠崎藤吉郎〕
1880(明治13)年  戸長役所の区域を10区〔武生水・志原・長峰・渡良・立石・箱崎・国分・可須・諸吉・石田村〕とする
1881(明治14)年  壱岐郡の人口41,762人と記録される
1882(明治15)年  県立壱岐中学校を創立する〔喜応寺跡〕
1882(明治15)年  県会議員の定数を変更する壱岐郡2人、石田郡1人となる
1882(明治15)年  武生水に植物試験場を設置する
1882(明治15)年  筒城小学校、池田分舎を併合し、中等石田小学校とする 〔石田小学校、石田西間(現中学校の地)に移転する〕
1883(明治16)年  武生水分署を「武生水警察署」に昇格させる
1883(明治16)年  深江小学校を設置する
1883(明治16)年  佐賀と分県し、現在の長崎県となる
1884(明治17)年  県立壱岐中学校が廃校となり、生徒は無試験で長崎中学校へ転校する〔6名〕
1884(明治17)年  諸吉小学校、深江小学校を合併して「田河小学校」と改称する
1885(明治18)年  定期航路船〔長崎航路〕が郷ノ浦に入港する
1885(明治18)年  武生水治安裁判所を設置する 同監獄支署も併設する
1885(明治18)年  印通寺駐在所を設置する
1886(明治19)年  初山小学校が志原小学校に合併する
1887(明治21)年  諸吉村役場が焼失する
1889(明治22)年  十八銀行武生水出張所を設置する
1889(明治22)年  各村第1回村会議員選挙が行われる
1890(明治23)年  郷ノ浦郵便局が電信事務を開始する
1890(明治23)年  初山村坪触に海底電線を陸上げする
1890(明治23)年  武生水区裁判所を設置する
1890(明治23)年  対馬丸〔150t〕が長崎⇔壱岐間を命令航路として就航する
1890(明治23)年  長峰小学校を廃止し、沼津小学校を設置する
1892(明治25)年  「雪州新聞」を発刊する〔社主 日高丙子郎〕
1893(明治26)年  中尾小学校を「那賀小学校」と改称する
1893(明治26)年  武生水監獄を廃止する
1893(明治26)年  壱岐の人口が35,892人と記される【壱岐石田郡村要覧】
1894(明治27)年  若津丸〔170t〕が壱岐⇔博多間航路を就航する
1894(明治27)年  壱岐郡立病院を設置する
1895(明治28)年  壱岐郡立病院の診察が開始される〔院長 牧田源太郎〕 郡立病院芦辺出張所も診療を開始する
1896(明治29)年  武生水税務署を設置する
1896(明治29)年  壱岐郡と田郡の2郡を併せて壱岐郡となる
1896(明治29)年  武生水魚市場を設置する
1899(明治32)年  勝本税関監視署を設置する



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