|
|
 |
|
|
|
 |
 |
人物名 |
 |
品川鉄摩
|
|
 |
 |
 |
生涯 |
 |
明治36(1903)年
平成元(1989)年
|
 |
 |
 |
生誕地 |
 |
勝本町
|
 |
 |
 |
業績 |
|
品川鉄摩は、勝本町新城東触で生まれました。大正11(1922)年に長崎県師範学校(ながさきけんしはんがっこう)を卒業し、島内の学校をはじめ、長崎県内の学校の教壇に立ちました。退職後は、郷ノ浦町の文化財調査員、壱岐の自然を育てる会会長、環境庁自然公園指導員、壱岐名勝天然記念物保護理事、日本植物学会会員などの職を通じて、壱岐の郷土の植物研究を続けて、広く学会で紹介し、多くの新発見をもたらしました。長崎県の天然記念物に指定されているスキヤクジャク群落の発見など多くの功績を残しています。
|
 |
|
|
|
 |
 |
|
|
|
 |
 |
人物名 |
 |
久田清信
|
|
 |
 |
 |
生涯 |
 |
明治14(1881)年
昭和39(1960)年
|
 |
 |
 |
生誕地 |
 |
芦辺町
|
 |
 |
 |
業績 |
|
久田清信は、芦辺町中野郷で生まれました。明治40(1907)年に長崎県師範学校(ながさきけんしはんがっこう)を卒業し、壱岐島内の学校で先生として、教壇に立ちました。在職中には、自主学習のダルトンプランを壱岐に導入し、一時県下の教育王国と呼ばれるまでに成長しました。盈科小学校の校長時には本田清信をはじめ、島内の校長6名と共にアメリカに渡り、教育視察を行いました。退職後は、県議会議員に4回当選し、長崎県教育委員長に選ばれました。本田清信は晩年、久田家に養子したため、久田清信の名で呼ばれている。
|
 |
|
|
|
 |
|